草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルのプログラム冊子では、音楽学者、評論家によるエッセイを毎年のテーマに合わせ寄稿して頂き掲載しています。その数200稿に迫る勢い。ここでは、これこそ「学び舎(アカデミー)」と思えるエッセイのいくつかをお届けします。
文・池内 紀 第14回プログラムより(1993年8月発行) ウィーン歌劇場から歩いて十分ばかりのところ、買い物客でにぎ…
文・樋口隆一 第18回プログラムより(1997年8月発行) 現代ロシアの作曲家アルフレート・シュニトケが《クアジ・ウナ…
文・佐野光司 第20回プログラムより(1999年発行) 今日の音楽生活のほとんどは18、19世紀の音楽で占められている…
文・岡田暁生 第35回プログラムより(2014年発行) リヒャルト・シュトラウスについての一般的なイメージといえば、「…
文・福田 弥 第32回プログラムより(2011年発行) フランツ・リスト(1811~86)は、19世紀ロマン主義のヨー…
文・前田昭雄 第15回プログラムより(1994年発行) シューベルトとウィーン。この題のもとに、ひとは何度文章を書いて…
文・西原 稔 第19回プログラムより(1998年発行) ベートーヴェンの生まれた1770年は様々な意味でまさにヨーロッ…
文・松田智雄 第3回プログラムより(1982年発行) 一、「古典主義」の転換 19世紀という時代は、世界の歴史的潮流の…
文・大宮真琴 第8回プログラムより(1987年発行) 〈マンハイムに行かねばならぬ。生涯にただひとたびであっても、私は…
文・久保田慶一 第25回プログラムより(2004年発行) バッハの息子たちと呼ばれる音楽家は4人である。まずは生年の順…
ビーバ博士のエッセイ集
ウィーン楽友協会のアーカイヴ所長 オットー・ビーバ博士による音楽エッセイ集。ビーバ博士は、2004年より毎年途切れず草津の音楽祭ファンに向けて、エッセイを寄稿してくださっています。博士のエッセイは、楽友協会所蔵の楽譜、資料を惜しみなく提供くださり、その時代にタイムスリップしたような感覚にさせてくれる貴重な内容ばかり。この機会にいくつかを改めて紹介いたします。
文:オットー・ビーバ/日本語翻訳:武石みどり 第25回プログラムより(2004年発行) 音楽史の中で、バロックと古典派…
文:オットー・ビーバ/日本語翻訳:武石みどり 第30回プログラムより(2009年発行) ローベルト・シューマンは、18…
文:オットー・ビーバ/日本語翻訳:武石みどり 第27回プログラムより(2006年発行) モーツァルトが生まれた1756…
文:オットー・ビーバ/日本語翻訳:小宮正安 第33回プログラムより(2012年発行) ヴォルフガング・アマデウス・モー…
文:オットー・ビーバ/日本語翻訳:武石みどり 第29回プログラムより(2008年発行) ヨーゼフ・ハイドンの弟子だった…
文:オットー・ビーバ/日本語翻訳:小宮正安 第38回プログラムより(2017年発行) 最初にはっきりさせておこう。それ…
文:オットー・ビーバ/日本語翻訳:小宮正安 第36回プログラムより(2015年発行) ヨーロッパで22年にわたって戦争…
文:オットー・ビーバ/日本語翻訳:武石みどり 第31回プログラムより(2010年発行) ローベルト・シューマンとフレデ…
文:オットー・ビーバ/日本語翻訳:小宮正安 第32回プログラムより(2011年発行) フランツ・リストが生を受けたライ…
文:オットー・ビーバ/日本語翻訳:小宮正安 第34回プログラムより(2013年発行) ジュゼッペ・ヴェルディはワーグナ…
オットー・ビーバ
ウィーン生まれ。ウィーン大学にて音楽学を学び博士号を取得。1973年よりウィーン楽友協会アーカイヴ研究員。現在は所長を務める。73年~2002年、ウィーン国立音楽大学教授。音楽学学会の研究課題と出版物を扱う数々の国際的組織の委員を務めている。また、17世紀から20世紀のオーストリア音楽史を中心とした数々の著作もあり、120を超える18,19世紀の様々な作曲家の作品も校訂。定期的にヨーロッパ、アメリカ、日本でも講演活動を行っており、第25回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルでは、海老澤 敏氏、故遠山一行氏との鼎談(テーマ「バッハからベートーヴェンへ」)に参加。ヨーロッパのみならず、日本も含む様々な国で、音楽に関する展示会、展覧会のアドバイザーを務めている。
事務局長のエッセイ集
40年前の1980年、多くの人物の思いがひとつとなり「草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル」が誕生しました。その中心にいた人物の一人が、現在も事務局長を務める井阪紘。彼のもうひとつの職業はレコードプロデューサーです。世界中の一流アーティストとの仕事の様子を織り交ぜ、「なぜアーティストが草津に足を運んでくれたのか」、当時のいきさつなどを赤裸々に綴ったエッセイを「Eine Pause 2020」でも公開させて頂きたいと思います。
「エリザベート・シュヴァルツコップ マスタークラス」について 8月25日~27日の3日間にわたり公開予定の「事務局長のエ…
文:井阪 紘 私はフィリップスのA&Rの仕事から日本ビクターの学芸教養部に籍を移して、やっと若杉弘指揮、読売日…
文:井阪 紘 ウィグモアホールでの再会の後は、1982年にしばしばチューリヒ郊外ツミコンの自宅を訪れたり、フランクフル…
草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルは、1980年、ヴァイオリニストの豊田耕児氏を音楽監督、音楽評論家の遠山一行…
文:井阪 紘 昔の杉並公会堂は木造建築の良く響くホールで、1000人は入らなかったが、室内楽には最適のホールだった。1…
井阪 紘
株式会社カメラータ・トウキョウ代表取締役社長。同志社大学経済学部卒業。1964年日本ビクター株式会社入社。音楽のプロデューサーとして78年退社までに150枚以上のレコードを制作し、文化庁芸術祭大賞をはじめ数多くの賞を受ける。94年群馬県文化功労賞受賞、95年オーストリア政府文化芸術勲章、96年オーストリア・ブルックナー協会ブルックナー・ゴールドメダルを授与。2004年には日本製鉄音楽賞(旧新日鉄住金音楽賞)特別賞、08年第26回中島健蔵音楽賞、16年和歌山県文化表彰受賞。06年『一枚のディスクに──レコード・プロデューサーの仕事』(春秋社)を出版し、第19回ミュージック・ペンクラブ音楽賞のクラシック音楽部門で最優秀著作出版物賞を受賞した。1980年第1回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル設立時より事務局長を務めている。