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第44回(2024年)草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル開催!

STAFF BLOG

【事務局長のエッセイ集】エリザベート・シュヴァルツコップと草津②

文:井阪 紘

 私はフィリップスのA&Rの仕事から日本ビクターの学芸教養部に籍を移して、やっと若杉弘指揮、読売日本交響楽団による青山スタジオのスタジオ開きの記念録音、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」等を録音し始めたばかりの27歳の駆け出しレコード・プロデューサーだった。
 ともかく、考えられないほど高貴なアーティストと夕食を一緒にすることになり、大人しくして失礼の無いように、ちんまり座を占めていただけだったが、サヴァリッシュがどう私の事を紹介してくださったのかは知る訳もなく、もっぱらレッグは奥様の新しいレコーディングは、もうEMIではやらない。その辺りの事情をサヴァリッシュに説明していたように思う。さらに、レッグとシュヴァルツコップがその時計画していたシューマンの《女の愛と生涯》のレコーディングについて話をされていたが、そのうち、この若者にやらせてみようと思ったのだろう。「その録音の現場を君がやってみるのは、いかがですか?」とレッグが私に突然話しかけた。その瞬間、私に人生の大きなチャンスが廻ってきたのだろうが、この話はちょっとした行き違いから流れてしまった。レッグからの手紙が上司の机の引き出しの中で眠ったまま数カ月が経過したのだ。私のボスは、恐らくシュヴァルツコップを録音するとなると、壮大なギャラを請求されそうだと思ったのだろう。手紙の封を切らずに机の中にしまっておいたようだ。

 話を出会った当初に戻そう。私は新芸術家協会の主催する1968年の彼女のリサイタルに本人から招待され、「コンサートの後に楽屋に来なさい!」と言われた。彼女はそこでピアニストのジェフリー・パーソンズを紹介しようと思っていたようで、夫のレッグ氏とも会った。そんな雰囲気の中にいただけで、「もし可能なら自分もこうした人の近くでレコードの仕事がしたいものだ」と思うのは単純かもしれないが、それはすばらしい音楽を聴いた感動から来るごく自然な感情だった。おそらくその一晩が、今日までレコード・プロデューサーの道を続けて来られた私の原動力になっているように思う。

 1970年の夏、私は『滅び行くヨーロッパの蒸気機関車』の録音のためにスイスを訪れた。当時ジュネーヴにお住まいだったレッグ夫妻に電話をかけてみた。モントルーに泊っている私にわざわざ会いに来てくださったレッグ氏は、「君から返事がないので、もう録音の手配から、すべて終ってしまったよ」と残念がられた。

 シュヴァルツコップによるシューマンの《女の愛と生涯》を私が録音するというプロジェクトは、そんな事情で残念ながら流れてしまった。72年、74年の来日時には、その仕事を実現させなかったという恥ずかしい気分が私の中にあって、私は彼女のコンサートにも、会いにも行けなかった。

 その後、私がシュヴァルツコップに突然近づく機会を与えてくれたのは、1981年、偶然ロンドンのウィグモアホールの前を通りがかったときに見つけた彼女のマスタークラスのポスターであった。
 私は翌年の草津の音楽祭の準備で、招待している講師のタマーシュ・ヴァーシャリ(ピアノ)やカリーヌ・ジョルジュアン(チェロ)に会うためにロンドンを訪れていた。シュヴァルツコップの公開マスタークラスも終了まであと1時間を切ったという時、ウィグモアホール前の看板でこれを見つけ立ち止まったのだが、即決、切符を買って客席に潜り込んだ。千載一遇というのは、まさにこういうことを言うのだろう。

 レッスンが終って楽屋に。あいかわらず多くのファンがLPなどを持って並んでいる。サインを求める列だ。シュヴァルツコップほどファンを大切にしたアーティストを私はほかに知らない。彼女はどんなに疲れている時でも、自分のアルバムを持ってサインを求める人がいれば、ていねいに、時にはその人の名前を聞いてそれを書き、笑顔で応じた。これはご主人のレッグがおそらくそう助言したのであろう。自分たちの作ってきたレコードを大切に持ってくる人、その聴衆を心から彼らは愛した。それは、言葉はなくても一緒にいるだけで彼女に教えられたことのひとつだった。

 最後の人のサインが終って、ぼんやり目前に立っている私を見つけた彼女は、「おやまあ、どうしてあなたがこんな所にいるの? クリスマス・カードしかくれない人が!」と冗談を言う。早速その夜、一緒に食事をしようということになって、積もる話をした。
 私は日本ビクターを1978年の末に辞して、自分の小さなレコード会社「カメラータ・トウキョウ」を作ったこと、草津という高原リゾートで音楽祭を始め、その事務局長として働いていることなどを話し、そこでぜひともマスタークラスを開いてほしいとお願いしてみた。彼女は、「私の教えている日本人ですばらしい感性を持ったソプラノ歌手がいるの」と話し、出てきた名前が白井光子だった。私は笑って、「彼女のことは、豊田耕児さんの強い推薦があり、すでに日本にも紹介するべくコンサートも企画し、オーケストラでマーラーの交響曲第4番――あなたがクレンペラーと録音したあの曲――を歌ってもらっています」と答えたら、「驚いたわ!」とシュヴァルツコップ。「それなら、あなたが録音し忘れた《女の愛と生涯》を彼女と録音してはいかが?私も厳しく光子のレッスンをしておくから。きっとよいレコードが作れると思うわ。私がスーパーバイザーなのだから、ぜひプロデュースしなさい」と彼女は語った。

 これが白井光子のカメラータ初録音となった。シューマンの《女の愛と生涯》と《リーダークライス》を組み合わせたアルバムが誕生したきっかけである。できあがったレコード(初出はアナログLP)を送ったら、「歌はよい編集がしてあってOK。ただ、録音のサウンドはウォルターの考えで言えば、エコーが多くて教会音楽みたいなのが気に入らない」と返ってきた。「お母様」はアビー・ロードのEMIのスタジオ録音に耳が慣らされてしまっているのだなあ、と私は感じたが、このアルバムの推薦文を書いてほしいとねだったら、色紙に文章を書いてくださった。今でも、これを宝に、私はコツコツ録音を続けることとなる。

シュヴァルツコップの直筆の推薦文

―つづく―

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