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第44回(2024年)草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル開催!

STAFF BLOG

【くさつ エッセイ集】リヒャルト・シュトラウスの生涯と音楽

文・岡田暁生

第35回プログラムより(2014年発行)

 リヒャルト・シュトラウスについての一般的なイメージといえば、「派手な交響詩や楽劇を書いた後期ロマン派の作曲家」といったところだろう。この後にカッコつきで「ただしマーラーやドビュッシーと比べれば外面的でいささか格落ちだが……」といった保留がつく場合も多かろう。私に言わせれば、こうした俗流シュトラウス像は、三重の意味で間違っている。第一に、シュトラウスは生来極めて室内楽的な発想をする作曲家だったということ(=外面性だけで彼の音楽が割り切れるわけではない)。第二に、彼のメンタリティーにはどこか非ロマン派的なところが、つまり古典的なところがあったということ(=単純に彼を後期ロマン派にカテゴライズしていいわけではない)。そして第三に、シュトラウスはマーラーに比べて格落ちどころか、20世紀音楽の父と呼んでも過言ではない音楽史の巨人であったということ(=例えばマーラーと比べてあまりに音楽史上の役割が過小評価されている)。

 シュトラウスにいかにも世間の誤解を招きがちな言動が多かったのは確かである。「偉大な芸術家」のイメージにつきものの、世の無理解だの、苦悩だの、悲劇など、深い思索だのに、少なくとも一見したところ、彼の人生はまったく無関係であった。オペラ劇場の名ホルン奏者を父に、ビール会社の娘を母にもっていた彼は、ミュンヒェンの「いいところのお坊ちゃん」であり、早くから申し分ない世間からの認知を受け、家庭にも恵まれ、ナチス時代のことはあったものの、総じて幸福な長命を享受した。そこに加えてあの管弦楽の効果上手ぶりである。リヒャルト・シュトラウスは、隙あらば「内容のない外面的な効果」をあげつらいたがる世の音楽通の、格好の非難の的であり続けてきた。こうした世間のステレオタイプなイメージを上書きするような言動が、シュトラウス自身に多かったことも否めない。いわく「私は二流の中では一流の作曲家だ」とか、「観客が誰であれ金さえ払ってくれればいい」だとか、「ワーグナーの偉大さを乗り越える代わりに回避することで、私は何とかやりくりしてきた」といった、いわば「へたれた」発言である。

 しかしながら、シュトラウス音楽を正しく理解するために何より必要なことは、シンプルに作曲することにかけて、彼は比類のない天才だったという点を理解することである。絵画でいえば素描と着色の関係も同じだが、作曲にも曲の骨格をしっかり作る段階と、それに色を塗るそれの、2つのプロセスがある。そして絵画と同じく音楽においても、デッサンの構図がきちんと決まらないと、どれだけそこに色を塗りたくろうが、効果は空回りするばかりだ。世にオーケストレーションは派手だが、効果倒れで終わっている音楽など、いくらでもある。そういうものとシュトラウスは厳格に区別しなければならない。つまり彼はきちんと極めて正確かつ流暢にデッサンが出来る人であった。これはスケッチ帳を見れば一目瞭然である。『ツァラトゥストラ』も『サロメ』も『ばらの騎士』も、スケッチの段階では非常に几帳面に、およそあの怒溝のような響きは想像できないような、端正な四声体で構想されているのだ。曲の基本構図を最小限の音数で描いていく。そのうえでの、いわば客サービスのための余芸としての、あのオーケストレーションの効果なのである。

 シュトラウスの音楽は、「合奏する歓び」という点でもまた、室内楽的である。幼い頃から彼は、しょっちゅう父フランツの合奏の相手をさせられ、徒弟修業のような形でもって伴奏の極意を教わった。また休日になると父の友人が次々に自宅を訪れ、そんなときはみんなで弦楽四重奏をやったりした(父フランツはヴァイオリンもうまく、もちろんリヒャルトもヴァイオリンを弾いた)。長じて後の彼は、名ソプラノだった妻パウリーネと、しばしばリートのタべを開いた。こうした仲間内で丁々発止と合奏する感覚は、シュトラウスの大オーケストラ曲の中にも脈々と息づいている。私の知る限りリヒャルト・シュトラウスは、オケマンたちが最も嬉々として演奏したがる作曲家であるが(たとえばブルックナーなどが、楽器が響かないとか、合わせにくいといった理由で嫌われるのと、これは対照的である)、それは大管弦楽になっても彼の音楽には常に室内楽的な愉悦があるからだと言っても、あながち的外れではあるまい。

 シュトラウスに室内楽的なところがあるということは、当然ながら彼の音楽の古典性と深く関わっている。父フランツはハイドンやモーツァルトの熱烈な崇拝者で、ベートーヴェンですら、第七交響曲のような作品は「ワーグナーの臭いがする」といって嫌っていた。若い頃のシュトラウスは、父から徹底的に古典派に基づく音楽教育を受けた。もちろん後の彼は大いにワーグナーに熱狂し、交響詩や楽劇を書くに至るわけだが、曖昧さや過剰な主観を嫌う古典性は、これらのワーグナー/リスト的なジャンルにおいても健在だ。

 古典性という点でシュトラウスは、意外なことにメンデルスゾーンととてもよく似ていた。初期のヴァイオリン・ソナタやチェロ・ソナタにおける、大胆な音程跳躍や胸ときめかす情緒と形式の端正さの見事なバランスは、その好例であろう。そして長じて後の『英雄の生涯』にしても、その冒頭主題がメンデルスゾーンの八重奏とそっくりなことに驚かされる。メンデルスゾーンのピアノ三重奏第2番の終楽章には、『ばらの騎士』第2幕とそっくりのパッセージが現れる。メンデルスゾーンもシュトラウスも、ロマンチックな時代の古典的な天才であった。

 いたずらにゴテゴテさせず、シンプルかつ優美に曲の骨格を組み立てるシュトラウスの天賦の才能が遺憾なく発揮されているのが、初期の室内楽の類である。初期の彼のヒット作であった木管合奏のための「セレナード」や「組曲」など、古典派的な機知と簡潔と優美の点で、センスのかたまりのような作品である。大オーケストラによる交響詩や楽劇で成功する以前の、こうしたモーツァルト的な室内楽の方が、はるかにシュトラウスの天才がピュアな形で輝いていると、私は考えている。大オーケストラを使うようになってからの彼は、曲の構図=デッサンは相変わらず極めて流麗かつシンプルに書けているのに、いわば書けすぎてしまう自らの技量の故に、つけ加えずもがなの色彩の重ね塗りをしてしまう悪癖があった。才能がありすぎて、余計なことをしてしまうのだ。いずれにせよ、交響詩に進出する以前の古典派的なシュトラウスの輝きが、後の作品があまりにもプレゼンスが強すぎるせいで、何か習作のような扱いを受けていることは残念である。

 なおシュトラウスは、第二次大戦が始まって以後の晩年の作品群において、「シンプルに、流暢に、優雅に、楽々と書く」という彼の最良の資質を、再び取り戻した。例えばオーボエ協奏曲における古典的な均衡と自由なファンタジーの広がりは、ただ驚嘆するほかない。例えば第1楽章では冒頭主題が何と15回もオーボエによって繰り返される。そのうちただの繰り返しは1回もない。毎回少しずつ旋律に変化をつけ、和声を変え、色彩を変えている。すべては一筆書きのような簡潔さで楽々と展開され、そして何度繰り返されようとも、まったく人を飽きさせることがない。

 周知のようにシュトラウスは、第二次大戦の最中の1940年あたりから、再び驚くべき創作力の高まりを見せるようになる。その結実が『カプリッチョ』、「メタモルフォーゼン」、オーボエ協奏曲、そして「最後の4つの歌」といった「傑作の森」である。あまたの大作曲家の中でも、晩年になって再びこれほどの数の記念碑的な作品を残し得た人は、そうはいない。

 サイモン・ラトルは20世紀音楽を辿るドキュメンタリー番組『リーヴィング・ホーム』の第二次大戦後の巻を、確かシュトラウスの「最後の4つの歌」で始めていた。多くの人が時代と完全にずれたアナクロニズムと考えがちなシュトラウスの晩年作を、第二次大戦後の音楽史の幕開けに使う。これは卓見だ。彼とともに1900年前後の音楽史を支えた人々のうち、1945年を超えてなお生きていて、しかもこれほどの大傑作を書いた人は、ただの一人もいない。これを偉大と言わずして何と言おう。しかも、多くの人が忘れているが、シュトラウスがいなければシェーンベルクの無調もなかったし、ハリウッドの映画音楽もなかったのは間違いない。これだけでもシュトラウスは文句なしに「大作曲家」の名に値すると、私は考えている。

岡田暁生(1960〜)
大阪大学文学部音楽学研究室助手を経て神戸大学助(准)教授、1996年「R・シュトラウス〈バラの騎士〉研究」で、大阪大学から博士(文学)。2001年『オペラの運命』でサントリー学芸賞受賞。その後、京都大学人文科学研究所助教授、07年准教授を経て現在は教授。09年『ピアニストになりたい!』で芸術選奨新人賞、『音楽の聴き方』で吉田秀和賞受賞。第30回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルの鼎談「今日の演奏、むかしの演奏」にて講師を務める。

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