文・佐々木三重子(音楽ジャーナリスト)
第11回プログラムより(1990年発行)
湯の町・草津で、この国際音楽アカデミー&フェスティヴァルが創設されたとき、誰が今日のような浸透ぶりを想像しえただろうか。
あれから11年。長いようでいて、関係者にとっては、きっとあっという間の歳月だったに違いない。
正式には「草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル」。やたら長くて舌を噛みそうな名前には、いまだになじめないでいるが、昨年、10周年を迎えたのを機会に、夏も盛りを過ぎた8月下旬、初めてこの音楽祭を訪れた。
草津といえば、まず思い浮かぶのは、粉雪舞うスキー場の情景である。実際にスキーをしていた頃は、草津には向かわず蔵王まで滑りに行ったものだった。だから、私にとっては初めての草津訪問となった。
上野から特急で長野原まで二時間半。バスに乗り換えて30分で草津町のバス・センターに着く。
そこから更に車で10分ほど登り坂の道を行くと、音楽祭のメイン会場である天狗山レストハウスが見えてくる。なだらかな斜面のふもとに位置し、あちこちにリフトが点在する。冬の賑わいはさぞかしと想像できる。
海抜何メートルかは知らないが、高原らしい爽やかな空気が気分をなごめてくれる。日ごろビルからビルへ、もっぱら地下鉄で移動している身にとっては、木々や芝生の緑が目に優しく、それだけでホッと生き返ったような気持ちになるから不思議である。
朝夕は涼しく、真昼の日差しこそ厳しいが、日陰に入れば、涼やかな風が草花の香りをのせて吹き抜ける。土砂降りの雨に降りこめられて困ったことを除けば、快適そのもの。このような自然環境の中でなら、気持ちよく講習が受けられ、またフリーの人もフェスティヴァルのコンサートを楽しめる。
それにしても、山の斜面に散在するリフトの切符を売る小屋を教室に転用するアイデアには感心した。新しく教室など建てられないため、苦肉の策なのだろうけれど、スキー場は住宅地とは離れているし、また小屋どうし距離があるので、音を出しても迷惑がかからないからだ。
後で、この小屋の掃除や、車での先生の送迎は、町役場の人たちが手分けして行っていると聞いた。その時、なるほどこれは、町が総がかりで、あらゆる面でバックアップしているのだなと、妙に感じ入ったものである。
その臨時教室で繰り広げられる授業は、ほんの一部しか見学できなかったが、それでも実にさまざまだった。
運動をする前に予備体操が必要なのと同様に、レッスン前に済ませておくべき基礎練習を怠っていた生徒を注意し、その場でやらせる教師、楽譜に記入された指示の意味を調べずに演奏して叱られる生徒、録音テープとメモ用紙を持参させ、レッスンを録音し、注意事項を簡単にメモして渡す教師、装飾音の記号をどう奏すべきか、一人ひとりやらせてみる教師・・・・。授業の進め方は文字通り千差万別で、比べてみるのも楽しかった。
ところで、ここのアカデミーの特色は、原則として小クラス制を採っていること。一人の生徒のレッスンを全員が聞くのである。一人の生徒が受ける注意は他の生徒にも勉強になるし、教師は同じ注意を繰り返さずにすむ。より効率的に授業が行われることになる。その上、クラスの親睦も深まる・・・と、メリットを数えあげることはできる。けれど当然ながらディメリットもある。生徒のレベルが同じならまだよいが、問題は進度や技術がマチマチの場合である。
自分より上級の人の授業は聴講していても参考になることが多いだろう。その逆の場合、上級の人はどうしても初級の人のレッスンにおつき合いする形になってしまい、注意力が散漫になっているように見受けられた。
生徒が希望する先生や受講の時期などをやりくりしなくてはならないので、主催者にとってクラス編成は大変な作業とは思うが、何か改善策がないものか、考えてもらいたい。
また、外国の著名な先生の指導を受けるのだと、生徒が張り切りすぎて背伸びをし、難度の高いものを選びすぎる傾向があるらしい。十分こなせていない段階でレッスンを受けても、つっかえたりミスをする。先生はそれを注意したり、弾き直させたりしているうちに時間が過ぎてしまう。かんじんな芸術的なことに触れるまでに至らなかったとしても、先生に責任はない。この様なレッスンは他の生徒が聞いてもあまり意味があるとは思えない。
授業の密度や集中度の点では、何といっても一対一のレッスンにはかなわない。そこで、クラス制の良いところは残しながら、マン・ツー・マン方式を何とか加味することはできないものだろうか。これも考えてほしい問題である。聴講していて感心したのはアシスタントの活躍である。ピアノの場合を除き他の楽器や声楽ではピアノ共演者が必要になる。このピアノ奏者が、何と通訳も兼ねているのだ。生徒の演奏に合わせてピアノを弾き、先生がストップさせて注意を与えると、間髪を入れずに日本語に訳し、すぐさま、またピアノに戻る。その忙しいこと。一人のレッスンの時間が限られているから自然と早口になる。生徒は交替してもアシスタントは一人だから交替できない。授業の後で先生のテイク・ケアもと、一人で何役もこなしている。一番疲れるのはアシスタントだろうと同情したくもなる。けれど、授業が終わって、先生にはお礼を言っても、アシスタントにお礼を言っていた生徒が果たしてどの位いたか・・・。
事務局によれば、このアシスタントたちは、少ない謝礼で気持ちよく働いてくれるという。この様に、陰でアカデミーを支えてくれている人たちがあって、この音楽祭は11年目を迎えられたのであろう。
今年、音楽監督が豊田耕児さんから遠山一行さんに変わる。遠山さんは、この音楽祭の創設時に係っていたので、その性質が大きく変化することはないと思う。
草津町の方はどう見ているのだろう。はじめは、町のイメージアップと観光客の誘致を狙って音楽祭を応援しようということだったのだろう。しかし、その効果は具体的に数値などで表せるものではないし、その辺は町側も了解している。
毎年毎年、海外から音楽家が来て、日本中から生徒が集まり、コンサートにも人が入る。これまでの実績は評価しているようだし、今後も継続・発展するものと期待しているように感じられた。リゾート地の音楽祭は近年盛んになってきた。その中で、国際的で規模の大きいものは、現在のところ草津と霧島であろう。10年という歴史も手伝って我が国の音楽界の中で、確たる存在を示すようにもなったといえる。
ところで、草津は、東京からさほど遠くなく、温泉もあり、環境が良いのだろう、テニスコートゴルフ場など、スキー以外のスポーツ施設が増設され、大型のリゾート・マンションやペンションが建ちだした。これを草津町がどう思っているのか、よそ者の私にはよくわからない。
開発はどんどん進められているが、その対象はレジャーであり、文化的なイベントといったら、この音楽祭だけらしい。となれば、文化を高く看板に掲げた唯一の催しとしてのこの音楽祭の価値は、高まりこそすれ、小さくなることはない。この自覚のもとに、主催者は自信をもって、より質の高い音楽祭を目指してほしいと思う。