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鳴り響く神々の声―西村 朗の音楽

文・佐藤聰明

第11回プログラムより(1990年発行)

僕は西村朗の音楽を聴くたびに、その背後に、人知では測れない、何者かの巨大な力が働き、そこに象を表すのを常に感じる。

 それは聴く者の眠れる魂を呼び覚まし、無意識の扉を開いて、はてしなく渦巻き流れる陰陽の生成の場へと僕たちを導き、そして、今まさに輝き放たれんとする乾坤の膨大なエネルギーの輻射を、体一杯にあびるのである。 

 たとえば、オーケストラと篳篥(ひちりき)のための音楽「太陽の臍」の前半の部分で、空間に潮が満ちるように、ひたひたと充ちゆく無限の響きのはてに、一瞬の光芒にも似た旋律が静かに浮沈するとき、僕には、それが人の巧みを離れた、超自然界での出来事のように感じられ、生まれる以前の風景を思い出すような、切なさにも似たうるわしい感情に心が満たされるのである。

 あるいは「二台のピアノとオーケストラのためのヘテロフォニー」で、二台のピアノから打ちだされる強靭なトレモロと、オーケストラが激しく拮抗しあい、情念が燃え盛るとき、僕は輝く宇宙樹が炎のように天に向かって屹立し、時が疼きねじれ、空間に膨大な光の束が放射されるのを、幻のように視たのだった。

 そして今日のように、人間本来の豊饒でうるわしい感情が、逼塞した時代にあって、これほどまでに力強く、魂が激しく揺さぶられる音楽を、いま僕たちが手にしえたのは、まさしく奇跡のように思えたのだった。西村の音楽に潜むこのような力は、はたしてどこから来るものなのだろうか。また、それを可能にするものは何か。

 西村はアジアの音楽、特にジャワのガメラン、バリのケチャ、そしてインド音楽に深く魅せられ、深甚な影響をうけてきた。-「ターラ」「カーラ」「ケチャ」「レゴン」「瞑想のパドマ」など、インドネシアやインドの音楽、芸能に由来する題名を西村が好んで用いるのも、その傾倒を物語るものであろう。また、その作品のほとんどが、打楽器アンサンブルであるのも興味深い。

 西村は言う、

「-アジアの伝統の響きに接する時、私は生来的な魂の喜悦を感ぜずにはおれない。今日の東アジアの作曲家の一人として、私は私のそうした魂の喜悦を作品に込めてゆきたいと思い続けている。」

 そして、これらの作品は、現代の打楽器アンサンブルにたくしての、南アジアへのオマージュなのだ、と述べている。

 西村の音楽には情念に貫かれた厳しいまでの激しさ、あるいは濃密な快楽(けらく)を思わせる、むせかえるような官能がしばしば聴かれる。それは音楽という「永遠なるもの」に西村が連なり、音楽に潜む精霊の力を再び呼び起こすための、かみがみへのはてしない頌歌(オマージュ)であり、森羅万象へと響きあう、魂の熱い震えなのであろう。

 たとえば「ケチャ」は、まさに音楽の持つ根本的な呪術性があざやかに表現されている。打楽器の熱い波動が、僕たちの硬直した頭脳をたゆませ、肉身を共振させて、ともに律動へと導く。音そのものがもつ呪力とも霊力ともいうべきエネルギーが、凝縮した圧力で充填され、開き放たれているのである。

 西村がしばしば語る「魂の法悦」や「喜悦」という言葉は、近代的主知主義の矮小化し殻涸びた精神を嗤い(わらい)、音楽という壮大な「響きあい」の宇宙への根本的な回帰と、教条的なこざかしい知で手垢にまみれ疲弊した音楽を蘇生させ、音に秘められた祖霊の力を覚めさせることを意味するのに違いない。

 その思考は「ヘテロフォニー」という簡素な言葉によく言い表されている。西村はアジアの音楽の根元に「ヘテロフォニー」を見いだしそこから荘厳な宇宙が、響きあいによって生み出されていることに思い到ったのである。二つの異なる要素が、せめぎあい、揺らぎ、うなりを生じ、それはやがてリズムと化し、そして星々の周期のように倍音のハーモニーを導き出し、森羅に鳴り響いて万象を表すのだ。それは構築されるものではなく、まさしく生成し化育するものとして象を現じ、生みだされていくものなのである。丁度、神々の陰陽の和合のように、その胎内で光の粒子が誕生し、無窮の開闢を、二つの刹那刹那にもむかえているがごとく、遠久(とわ)の過去から悠久の未来へと、時を超えて響きわたる一筋の声なのである。それを道(タオ)という中国の古い言葉に置きかえてもかまわない。

 西村がアジアの音楽に魅了され、その響きに耳を傾けるということは、自己の肉身の響きを聴くことなのだろう。魂の基根に流れる一つの音を聴くことである。それは大千三千世界を貫通する一大音であり、金剛胎蔵両界を輝かせる光の源なのだ。西村のどの作品にも、僕はこの「悠久の時」が「一筋の声」が、常に豊かに流れているのを聴き、耳を澄ます。

 ポスト・モダンといういかがわしい言葉が膾炙されているが、西村にはポスト・モダンやモダン、プレ・モダンも無縁なものに違いない。彼が凝視(みつめ)る壮大な世界に較べれば、まさにそれは卑小きわまりない。人類が音楽を得てからどれほどの歳月がたつのか知らないが、人間は音の清浄さ、うるわしさ、その霊的な力をいつのまにか忘れてしまったようだ。魂の汚濁と頽廃、精神の衰微した今日の音楽のなかで、西村の深淵をうがつ透徹したおこないによって、僕は少しでも未来に光明を見いだすことができるのである。

佐藤聰明 作曲家 

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