文・松田 智雄
緑がつくり出す美しい環境・それも高原のさわやかな空気のなかで、下界では真夏のむし暑い盛夏の日々に、ここ草津で身に沁みる音楽に浸っていられるとすれば、わたしはいく度か幸福感で胸一杯に満たされたものであった。昨夏の草津で、この草津音楽フェスティヴァルに出席しながら・盟田耕児さんの宗教的敬虔とでもいいたい献身が表現する雰囲気と、ヴィンシャーマン氏が音の、いわば放射する響きのこだまするなかで、わたしはあの3日間、日頃の日本的な生活圈のなかから、たしかに脱け出していたと思っている。バッハにしても、モーツアルトにしても、その楽譜に示されている音構造を表そうと努めることは、音楽に携る者には誰でも、ある捏度まで可能である。しかし、音構造を生命のある音楽に変えてゆくのは、音をつくる全ての楽員の共同の心の働らきによるほかはない。そこには、共同の雰囲気をつくり、放射的な音の響きへと導いてゆく中心があり、そして楽員一同の共同の音楽への基盤がつくり出されたのである。
最終日、溢れる聴衆への配慮から、舞台の背後にポディウムとして席が設けられた。これなども、都会のありきたりの聴衆の集る音楽会とは異って、敢えて音楽を求めてきた土地の人に対する思やりの結果であった。休恕のとき、わたしは、その席に坐った土地の婦人たちの声に耳を傾けてみた。彼女たちは、ひとつの言葉を語っていた。「こんなにいい音楽を聴けるのだったら、どうしてもっと早くから毎日聴きに来なかったか」―と。
もともと草津が知られているのは、湯の町としてである。湯の町草津は、江戸時代から今日に至るまで、知らない人はないであろう。
話しは遠くヨーロッパにとぶのであるが、ドイツの湯の町、パーデン・パーデンはヨーロッパの人々ならば、誰でも知っているであろう。ここを訪れる人々は、ドイツの人々だけではない。最寄りのライン河をこえて、フランスの人々にも、沢山訪れてくる。シュワルツワルト——あのイギリスとフランスにもよく知られている。「黒い森」——の麓であり、その入口に位置を占めている。この町の市民の名誉与えられている人に、園田高弘氏があることは、<知る人ぞ知る> である。この町は、かってブラームスがしぱらく足を留めていた町でもある。パーデン・バーデンは湯の町であり、ドイツの湯治場としては最も有名な町である。ここを初めて訪れたのは、秋の姶まった9月の下旬であって、眼も覚めるような紅葉の季節であった。その後,何度も季節を変えて訪れた愛すべき町であった。ここに設けられている音楽堂にしても、管弦楽団にしても、そこで演奏する音楽家にしても、ヨーロッパの最高水準に達している。草律は、このような洗練された環境を完成しているわけではない。草津にドイツ風の快いホテルを設営されたわがスキー友達の中沢清さんは、フランクフルトに近い、バート・ナウハイムという温泉地を模範としてとられているようである。しかし、もし許されるならぱ、草津はバーデン・バーデンをその理想型としてよいのではないであろうか。そう考えるのは、わたしばかりではないようだ。諸井城さんはバーデン・バーデンについてこう書いている、「バーデン・バーデンの朝は、フォーゲルシンフォニーで始まる。烏たちの大交響曲。遠く近く、さまざまな鳥の声が大気中に満ちみちて、それはもう絢爛豪華。私が泊っているブラームス・ハウスのベッドのすぐ上の窓にほど近く、一本の大木が、この小さな白い古い家を包むように繁っていて、これまた時には烏たちの晴れ舞台となる。」(「ロベルトの日曜日」)
バーデン・バーデンは、同じ湯の町であるとしても、芸術好きなバーデン大公国の大侯爵が、飾り立てた優雅なバロック趣味がある。草津にはそれがないかもしれないが、同じ緑に包まれ、山の懐に抱かれた山の湯の町であり、烏の囀る山の町であることは、全く同じである。
こういう草津で、音楽フュスティヴァルによる音楽の響きが新らしい意味を与えようとしている。ここには、まだ音楽祭にふさわしい音楽堂も完成していない。しかし、昨年のあの仮の音楽堂にも、ひとつの特色があり、独奏にしても、アンサンブルにしても、生きた音を直接に耳に捉えることができた。よく考えてみると、音楽を聴くための音要素のひとつひとつを分離し、そして自分が自分の感覚で統一し、総合する操作をひとりでにやっていることに気がついて、これこそ最もすぐれたアクスティークをつくりあげていたのだったということが分った。
およそ、音楽祭と呼ばれているものは、全て独特構図の中で営まれている。ドイツのあのリヒャルト・ヴァーグナー音楽祭は、ヴァグナー自身が、自分の楽劇を祭典として演奏されるものでなければならない。という理想を揭げ、確信を抱いていた。だから、バイロイトの音楽堂は、バイロイト祝典劇場と名づけられている。そこは、創設の経緯からしても、バイエルン国王ルードウィヒ二世との共同作業として設計され、落成した音楽堂であるから、聴・観衆も服装を正して黒のネクタイを白い胸の襟に鮮やかに締めたタキシードなり、イーヴニングの色とりどりの服装が場内を埋めつくす。だが、バイロイトで実際に見つけた覚えはないが、こうした公式の習慣がある程度維持されるのはドイツ全体の音楽会風景からすれば自然のなりゆきであろう。しかし南ドイツではいまも地方的な郷土の服装が、男、女性ともに保存され日常生活に生きている。この服装は、タキシードや燕尾服とは全く違ったジャンルのもので、郷土的な色が淡彩色であったり、極彩色であったりして百花繚乱のおもむきがあリ、男性の服装には高原や山の緑色が地の色であったり縁取りされたりしている。この郷土の服装というものは、この山の多い地方に来れば吉凶どの場合でも公式の礼装と同じ礼装として使うことができる。良き古きヨーロッパは、こういうときに良き古き習慣を大切に守り続けることを知っている。そこにはいつまでも「地方の時代」の良さが維待されているのである。世界の国々を見て本当に文化を大切にする国民は、けっして文化の集中とか、大都会への独占だとかを露骨に推し進めることをしない。ドイツに近いオランダの国境に、ライン河のほとりにある森の町アルネムがある。この町にある森の中のゴッホ美術館のことはよく知っている筈の人でも誤解していることが多い。この国境の森の町の美術館には、ゴッホ作品の初期のものから発展し、円熟してゆくまでの過程が充分に示されている大きなコレクションが収蔵されており、アムステルダムだけでことが足りると思っていると、甚だしい誤りをおかすことになってしまう。オランダ国民の見識を示す見事な事例である。イギリスの夏期の講座、「ギッフォード・レクチュア」は、世界中から最高の碩学を招いて講演会を催す。そこで行われた講演、ラインホルト・ニーバーの「光の子と暗の子」は第二次世界大戦終了後の精神的昏迷の時期に、ひとつの未来への光明を指し示した言葉であって、たちまちに全世界の心ある人々に読まれる一冊の本とされたので、ギッフォード・レクチュアの名前も一躍して世界中に知られることになった。今からおよそ50年前に、今も続けられている「軽井沢夏期大学」の創始者新渡辺稲造氏のカーライル、「サーター・リザータス」についての講演は、現東京大学名誉教授高木八尺氏の筆記によって一冊の本になり、日本の国民の注目する教養書となったことがあった。この草津の音楽フェスティヴァルも、もし長く続けることができるならば、必ず日本の全体に知られ、また世界にも知られることになるであろう。
この音楽祭は、形式ばったものであってはならない。あの舞台の後ろに坐って耳を傾けていたこの町の女性たちの簡素な装いが、なんとまあ、あの熱意のこもった音楽の祭典にふさわしかったことかと思い出すのである。そして、聴衆の間によく知った顔を見かけては、やあ、やあと挨拶し合うのも、ここでなければ味わえない夏のたのしみである。草津には、昔ながらの古い湯の町のたたずまいもある。これはなるべく昔の面影を、ただ放置するばかりでなく、磨きあげた姿として維持するのがよいのであろう。そして、それとともに近代的で、しかも山の風致を損なわない新しい宿が、装いを新たにして現れてくるのは、楽しい期待である。
その上に、新らしい音楽堂、その中心となって、美しい姿を現すことは、思ってみても楽しい夢である。
今年はモーツァルトを中心として、指導者と受講者とが一つに溶け合って、楽音をつくり出す饗宴が待っている。ここはもちろんバイロイトではない。音楽の町・高原の町、湯の町草津であるが、ここではそれに相応しい音がつくられることであろう。その音を心にしみ透るように、聴き入りたいと思っている。昨年の思い出のなかには、美しい個性的な音ができあがってゆくのが、うれしい期待だった。今年ははやり豊田耕児さんの言葉への心が受講者の人々のなかに根を下ろすであろう。豊田さんの働らきは、深く内面的に受講者の心を目覚ましてゆくところにある。その上に、カルロ・ゼッキさんが、この草津にしばし足を留めて、音楽をここに相応しく形ちづくられることであろう。モーツァルトのヘ長調交響曲の初演、それから、ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲―はたして、どんな音楽を語りかけてくれることであろうか。
ここで聴ける音は個々に分析された清澄な楽器音が、身近かに聴きながら構成される総合のうちにどんな響きを伝えてくれるのか。草津には小烏の声が、自然の環境のなかに、それはそれなりに巧まない音楽をつくっているであろう。それとは別の世界として、人間の心によって生み出される音楽が、人問の心へと訴えることを願っている。
(1981年8月発行 「第2回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル」プログラムより )
松田智雄
1911年5月22日-1995年11月9日 経済史学者 東京大学名誉教授 図書館情報大学長