文・豊田 耕児
第1回プログラムより(1980年8月発行)
国際国日本は、ありとあらゆる分野で輸出国として世界の舞台で活躍をし、貢献している。しかし、そろそろ海外ではなく、日本国の中で、日本の土の上で、国際的日本の文化が誕生していいのではないか。もちろん、個人、少数の団体にて色々と努力はなされていても、なかなか日本人の生活の中に浸透し、そこから新たな創造として生まれ出て来る米る気配は少ない。特に音楽に至っては、ほぼ輸入文化の域を出ないと云って過言ではないと思う。
それが、ここに何げなく出た一人の意見から不思議と共鳴と反響を得て、思慮ある文化人の協力と共に、町、県、国の寛大な理解と援助を受けるに至ったことは、日本という国が宿命的に来るところまで来たのだと考えてさしつかえないのではなかろうか。それは喜こぶべき建設的な宿命と云えよう。
これは、日本という国の誇示でもなく、国粋主義的なものではことさらなく、日本の土から湧き出て来る自然の声であるに過ぎない。
今は日本とか外国とかを問う時代ではないことは云うまでもないが、日本人が最も純粋に日本人の魂を語る時、日本が本当の意味で存在し得、本当の意味で国際的な舞台に貢献し得よう。
世界にすでに多くの例を恃つこの国際夏期音楽アカデミー兼フェスティヴァルが日本にその第一歩を踏む時が来たことは何とも幸せなことで、若い世代が日本の地に於て、世界の優れた芸術家達と接し、学び、意見を交換し、そして新しい世界を生み出して行く、その為の一つの機関であってほしい。
この誕生を心から喜こび祝うと共に、今回のこの試みを実現に導かれた多くの方々に深く感謝の意を表したい。
豊田耕児
ヴァイオリニスト 1980年から1989年まで草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル音楽監督を務める。